子供の寝顔で反省会

日記帳です

姉妹喧嘩

うちの長女と次女は3学年離れているわけだが、実際は長女が早生まれのため、2歳と4か月ほどしか離れておらず、2歳差育児のようなものである。

 

次女が生まれたときは、長女の赤ちゃん返りがあり大変だったし、次女が動き出すと長女にちょっかいをだし長女が泣かされるということもしばしばだった。

今もどちらかというと、次女のほうが気が強く長女はよく泣かされている。

 

次女は、「なんでもおねえちゃん真似っこ」娘である。例えば、お姉ちゃんが塗り絵で赤色鉛筆をとれば自分も赤色鉛筆を欲しがるし、青色鉛筆をとれば今度は青色を欲しがるという始末である。

絵もお姉ちゃんの真似っ子。だから3歳にしてはうまいと思う。最近は、長女の影響でひらがなや数字にも手を出し始めた。まだミミズがのたうち回っているような文字だが本人は満足げである。

 

すっかり長女は長女らしくなり、そんな次女に意地悪な突っ込みはいれない。

しかし次女が何でも真似をしたがり、同じようにしたがることや、自分の思う通りに遊んでもらえないと癇癪を次女が起こすので、そこでお互いの要求がぶつかり合い喧嘩に発展する。あとどっちが●●を先にするとか、どっちが○○を選ぶとか。。本当に面倒くさい。

 

親としては基本的に放置である。二人で何とかしてくださいである。

同じものを二人分用意するってことは基本的にしない。

一つのものを一緒に使いなさい、交換こしなさいである。

 

どちらかに肩を持つことはしないようにしているが、自分自身が長女なので、長女の気持ちのほうが共感しやすくなってしまう。

次女が長女をリスペクトするほうに持っていきたいのだが、なかなか難しいのである。

 

姉妹のいる友人に話を聞くと、ほとんどが子供のころは喧嘩ばかりしていたという。

中には年単位で口を利かなかったという友も。。

でも大人になると姉妹の良さはわかると皆言う。

 

まあ子供時代は喧嘩ばかりだという前提でいれば、少しは私のイライラもおさまるかな笑

姉妹で1、2時間は喧嘩しつつも遊んでくれるので、育児は本当に楽になった。

しっかり者の長女と負けん気が強い次女。どんな姉妹に成長するか楽しみである。

 

悔し涙

運動会が終わったら、次はお遊戯会、マラソン大会。幼稚園は行事が多くて大変だ。

 

お遊戯会では、合奏と劇を毎年発表している。

今年は、ダンスの発表もあるらしく盛りだくさんだ。

 

ダンスは、2つの曲が用意され2つのグループに分かれるらしい。

長女の話によると、ちょっとテンポが速い曲と普通の曲だという。

長女は踊るのが大好きだ。

新体操を習わせているが、本当に楽しみに通っている。新体操のおかげで、体はとても柔らかくなった。Y字バランスなど、一生懸命家でも柔軟体操をしている。そんな長女なので、ちょっとテンポの速い曲をやってみたかったようだったが、希望者多数のためくじにより外れてしまったらしい。

また劇でも、やりたい役(主役・・笑)にくじで外れてしまい、希望がかなわなかった。

 

「ちょっとないちゃったの。。」と長女が言うので、「残念だったね。先生は何か言っていた?」(先生はどういう対応をするのかな)と聞いたら、

「じぶんのせきでこっそりないたの。。」と言う。

 

そんなにやりたかったのか!!笑

目立つの大好きだね!!笑

思わず笑ってしまいそうになった。

自分の子供のころにそっくりすぎてびっくりする。

 

でも長女が教室の片隅でべそかいてる姿を思い浮かべると、胸が痛くなった。

仕方ないよ。いつでも自分の願いが叶うわけではない。

いい経験したね、と思う。

長女には、「○○の役も可愛いし、お母さん見てみたいな。楽しみにしてるから頑張ってね」と伝えた。

来年小学生になれば、そんな出来事は日常茶飯事。悔し涙にくれることもたくさんあるだろう。でもそういう体験からしか学べないこともたくさんあるから。親としては胸が痛いけど、気持ちを受け止めて励ますしかない。

 

 

 

 

 

 

子供が生まれてから

自分の子供が生まれてから、すべての子供が可愛いと思うようになった。

 

私が自分の子供を愛おしく大切に思い育てているように、ほかの子供たちにも同じ思いで育てている母親がいることに気づいたから。

 

子供が生まれてから、子供がどんなに母親を求めているか、大好きなのかを思い出した。自分の子供時代の感情が蘇ってくる瞬間が何度もあった。

自分の子もほかの子供も、同じように母親を求めていることに気がついたから。

 

何事も経験だなと思う。

本を読んでも映画を見ても、経験しなければ分からないことだらけ。

 

母性は本能ではないと大学時代に学んだが、つくづくその通りだと思う。

小さくて無力な存在(赤ん坊だったり、もしくは子猫、子犬)を守り育てていく中で育っていく感情だと思う。

 

子供を育てながら、自分も学んでいる、変化していると思う。

充実した人生をありがたく思う。

 

次女のこと

3歳4か月の次女の今気になっていること。

 

①舌足らずなしゃべり方なこと。

②左利き。

③ちょっと太り気味なこと。

 

①舌足らずなしゃべり方がちょこっとだけ気になってます。

おかあたん、おとうたん、ちりちりつ(きりぎりす)、ちんでれあ(シンデレラ)・・・。

可愛くて、可愛くて、ずっと気にしてなかったんだけど、長女が同じ年頃のころの動画を見ていたらしっかり発音していたことに気が付いてから、あれ、と思うようになった。

次女はお姉ちゃんの影響からか、言葉が早かった。

早かった割に発音はちょっとゆっくり発達しているようだ。

まあ、焦ることもないかな。たくさん動画をとっておこう。

 

②左利きな事。

今どきは、無理に利き手を強制しない風潮のようですね。

でも、不便なことがないわけではないので、早めに右手を使うことを覚えさせれば矯正できるかもと思い2歳ごろちょこっとやってみたけど、すぐあきらめた。嫌がるし、すぐ左に持ち替えてしまう。

みんなそこを乗り越えていくのでしょうか。。

なんとなく次女は左利きが強いというか、両利きにはなれない感じに思うのです。

うちは祖母、母、私の兄弟が左利きで全員両利き。祖母とはあらゆる動作を右と左のどちらかでこなし(裁縫は右、書くときは左など)、母は普段はほとんど右、いくつかの動作だけ左というタイプ。不思議です。遺伝なのだろうか。

次女が左利きだということに気づいてから、左利き右利きといっても様々なタイプがいることを知った。左右盲という言葉も。

最近はさみを使いたがり、右利き用は使いづらいし危ないので左利きのはさみを買い与えた。嫌がるし、もう左利きでいいかとあきらめた。

ピアノを来年は習わせようと思っているが、左利きさんはやはり左手の音が強くなったり、弾きやすかったりするのかな。不思議ですね。

 

③ちょっと太めなこと。

90センチメートル、14キログラム。

標準だけど、おデブさんにならないよう気を付けないと。次女は好き嫌いなく何でも食べる。本当に偉いなと思う。好きな食べ物は野菜。将来の夢は八百屋さんかお寿司屋さん(笑)野菜も食べるけど、主食もおやつも果物も大好き。長女と同じようにおやつを食べることが多いから、反省です。同じにしないと怒り狂う。姉妹はいろいろ難しい。

 

 

 

 

 

 

親馬鹿

長女は、好奇心が強く様々なことに興味を持つ。

そういう年頃なのだろう。

でもだんだんと親が一瞬「うっ」となるような質問をぶつけてくるようになった。

 

「どうして川の水はしょっぱくないのに、川の水が流れる海はしょっぱいの」

「どうして雨が降るの」

「電気はどうやって作るの」

ト長調ってなあに」

「どうしてブラジルは朝なのに、日本は夜なの」

「てんのうって何」

「へいせいって何。しょうわって何。」・・・・等々。

 

5歳の子供にわかりやすく説明するのが大変難しい。

でもネットで調べると、同じ悩みを持つ親御さんは多いようで参考になる記事などがヒットしたので、説明に困ったときは参考にさせてもらってる。ネット時代万歳。

 

長女は、ひらがなの読み書きも早かった。時計も分単位で読めるようになった。

今は、足し算引き算に興味を持っていて、1位数2位数(繰り上がり下がりなし)の加減法プリントをやっている。

 

正直、私はひらがなはまだしも、算数はあまり先取りしないほうがいいと思っている。

算数は暗記科目ではなく、考える力を育む科目だと思う。

数の仕組み、おもしろさ、、そういったものを感じてほしいなと思っている。

プリントを与えてやらせるのは簡単なんだけど、そういう算数の面白さを教えるのってとても難しい。私が数学が大の苦手だったことも大きな要因だけど。

 

長女は、「○○の不思議」とか「不思議がわかる本」「地図パズル」など、知識欲を満たしてくれる本や図鑑がお気に入りで好んでよく読んでいる。

「どうしてクジラやイルカの頭に穴があるか知ってる?」と聞いてきて、仕入れた知識を披露して嬉しそうにしている。

私の弟もそんな感じの子供だったので懐かしく感じる。

 

苦手、というか得意でない分野だったのが「生き物」だ。

生態を知ることは興味があるけど「触れない・怖い」。

春の遠足で動物園に行ったとき、モルモットやウサギ触れなかったらしい。

これは私や夫の影響もあり反省点なのだが、あまり動物や虫、魚などと触れ合う機会が少なかったせいかもしれない。

虫に関しては、苦手で避けていた。

大人になって、動物に触れるのが苦手でもいいと思う。そういう人はたくさんいるし。

ただ子供のうちに機会を与えず、苦手にさせてしまうのはもったいないと思っている。

「いのち」に対する意識の基本も、あらゆる生き物を知ること、触れることから育まれるのではないかとも思う。この世界は、人間だけで生きているわけではないのだ。

 

すこし遅まきながら、親子でこの一年は生き物に触れる機会や飼育経験(金魚だけど・・)などを増やし、テレビも動物を扱うものを積極的に視聴した。

最近では、犬や猫と積極的に触れ合おうとしたり、犬を飼いたいと言うようになってきた(これは保留)。生き物に対して「かわいいな」という素直な気持ち、「触ってみたい」という興味、「どうして・どうやって」という疑問が少しずつ育まれてきた気がする。

親馬鹿だけれど、長女の知識欲や幅広い興味関心は一つの才能だと思う。

そういう年頃だから、、ではなく才能だと思って育ててあげたいなと思う。

 

 

川崎病のこと②

幸い、冠動脈瘤などの症状は現れず、2回目のグロブリン投与で再燃は抑えられた。

本当にほっとした。

 

3週間の入院生活は年末年始を挟んでしまい、クリスマスもお正月も特に何もしないで終わってしまった。

頭を悩ませたのが、長女が冬休みのため預け先をどうするかについてである。

幼稚園の預かり保育や、民間の一時保育を利用していたが、年末年始はどこもお休みである。加えて、夫はカレンダー通りに休む業種でないため、大変であった。

地方にいる両親、妹、夫の母など総動員で来てもらった。とてもありがたかった。

おかげで長女も寂しい思いばかりにさせないで済んだと思う。

 

夜は完全看護のため、寝かしつけたら自転車で20分ほど飛ばして帰宅する。12月の夜の寒空の中、自転車は本当に寒かった。でも仕方ない。病院の駐車場は有料で高かった。無料になるのは入院1日目だけ。都心だから仕方ないのか。義母は私が21時過ぎに自転車に乗ることを大変心配し、タクシー代をたくさん下さった。寒かったのは大変だったが、車より自転車のほうが身軽で好きな私は、安全運転を心がけて自転車で通いとおした。

 

次女は、歩くのが遅く入院した時はまだ歩けなかった(1歳5か月)。

私も大変心配したが、主治医は個人差だから大丈夫と言っていた。

そうしたら、入院中によちよちと歩けるようになった。子供のためのプレイルームや、病室のなかを点滴が取れてからは興味津々で歩き、看護師さんに褒められて嬉しそうにしていた。随分と歩くのが遅かったせいか、歩くようになってからは全く転ばず、転んでもしっかり手がついていた。あんなにハイハイばかりしていたから、腕の力はついたのかもしれない。

 

様々な出来事があった入院生活だったが、特に現在は後遺症もなく元気に過ごしている次女である。

子供が元気な事、それ以上の喜びはないと身をもって知ることができた。

しかし、姉妹で同じ病気になるとは親としては驚きであったが、入院中の主治医やかかりつけの医師によるとたまにある話だそう。

遺伝子的な性質なのだろうか。。不思議は尽きない。

 

 

川崎病のこと

光陰矢の如し。

 

ブログの存在をすっかり忘れて、あっという間に2年の月日が経ちました。

 

幼稚園に入園したばかりの長女は、年長になり来年はいよいよ小学校入学である。

ほふく前進に励んでいた次女は3歳、来年は幼稚園入園である。

 

長女が2年前に川崎病を発病したが、今は元気に生活している。毎年、病後検診を受けてきたが、去年期外収縮が見つかり、こちらも経過観察している。運動や生活面に特に制限はないものの、親としては気がかりなことの一つである。主治医の話によると、川崎病にかかった子供では珍しいことではないとのこと。冠動脈に後遺症はなかったが、心臓への負担はやはり大きかったということなのだろうか。

 

そして、次女も2年前の年の瀬に、川崎病を発症してしまった。

 

長女は、高熱が続いて川崎病の確定診断が下りるまでに5日かかったが、次女は3日目で診断され早めに治療に取り掛かることができた。

次女の場合、下腹部の発疹と目の充血、いちご舌といった川崎病特有の症状が2日目から現れ始めたことや、血液検査での数値が悪かったことなどで、迅速な診断が可能だったのかなと思う。

長女は熱こそ下がらず続いていたが、その他の決定的な症状が現れるのが遅く、最初は風邪→溶連菌(目の充血が少し見られたため)→溶連菌の検査が陰性だったので、やっぱり風邪?といった風に病名が二転三転した。

川崎病経験者のお母さんたちに聞いても、似たような話を聞くので、川崎病の診断というのはなかなか難しいものなのだなと素人でも感じた。

 

長女は10日ほどで退院し、病後の経過も良好だった。グロブリンの投与を受けた後は嘘みたいに熱が下がり、元気になった長女の姿を見ていたので、次女も同じような経過であると思い込んでいたが、そうはいかなかった。

結果的に、次女は3週間の入院生活となり、グロブリン投与を2回受けることになった。

一回目の点滴で、劇的に解熱し5日ほどは平熱であった。しかしその後熱が再び上がり始め、血液検査により川崎病の再燃が疑われた。そして2回目のグロブリン投与をうけることになったのだ。

2回目の治療が功を奏さない場合、もっと設備の整った大きな病院に転院することになると話を受けた。

 

やはり一番の心配事は心臓への影響である。症状の再燃で、まだ1歳の次女の小さな小さな心臓に、何か起こってるのではないかと心配で気をもむ毎日であった。