魔法少女になりたかった。
最近毎朝幼稚園バスを待っていると、年少の長女と同じクラスの女の子が、私にプリキュアなるもののティッシュを見せびらかしてくる。毎朝である。よっぽどうれしいようだ。
わが娘は早生まれなので、まだそういった少女アニメ?の存在に気づいておらずまた何の興味もないしまじろう命の3歳児なので、娘に見せても反応が薄く、彼女は私に見せてくれるのだろう。
男の子は戦隊もの、女の子は魔法変身もの、昔から子どもの心をつかむものは変わらないんだなと思う。
私も幼少のみぎり、クリーミーマミやらひみつのあっこちゃんやらに憧れたものであります。
小学生高学年の頃はセーラームーンにはまっていた。いや、中学生になっても愛読していた。さすがに中学生になれば変身ごっこはしませんでしたが。
しかしうちの母親は、教員だったためか厳しい教育ママだったので漫画はちびまる子ちゃん以外は一切禁止であった。ちびまる子ちゃんには魔法や変身の要素は全くなく、大人になって読むと面白さも分かるものだがあの頃は夢見がちで妄想癖のある私の心は全く満たされなかった。
よって友達の家に行って漫画を読ませてもらったり、内緒で借りて読んだりした。
幸いに?母は仕事で多忙だったのでこっそりテレビも視聴した。
そんな母の教育方針が影響してか、大人になっても漫画を日常的に読む。読みたい。
読まずにはいられない。妹弟も同じである。大人になって漫画の自由をえたわが兄弟たちは、3人そろうと漫画の話ばかりしている。実家は漫画だらけである。
わが娘が近い将来、いやもう半年後?とかにプリキュア!アイカツ!と言い出したら節度を持って視聴させたいと思う。
思う存分空想の世界で魔法少女になればいい。若干秋葉臭のする絵面は気に入らないが、節度を持ってグッズも買ってやろう。しかし被服に関しては勘弁してほしいなあ。噂によるとカードも必要?うげー、ビックリマンみたいだな!
節度って難しいなあ。
しかしティッシュくらいで喜んでる子供が本当に可愛い。
うちは駅で配られていたパチンコ屋のティッシュを持たせていたので、ちょっと反省して今日は100均でキティちゃんのポケットティッシュを買ってきた。
女は本質的に変わらない
家にいるのが好きである。
何をするわけでもないが、自分のテリトリーで自分の思うように行動するのが一番いい。
掃除をしてみたり、本を読んだりテレビを見たりネットの海を漂ったり。。
一週間くらい外に出なくても平気だと思う。
子どもが大きくなるとなかなかそうもいかない。
まず親を部屋でくつろがせるなんてことをさせてくれるはずもなく、まとわりついて離れない。家事も滞る。
子どもとマンツーマンで遊ぶのが30分が限度の私と、1人遊びができない3歳長女の2人が一日在宅するとお互いイライラして大変雰囲気よろしくない家庭になってしまう。
ということで公園に行ってみたり(公園でもおかあさんあそぼーと私から離れないが)、散歩と称した買い物にでてみたりするわけである。
だいたいよそのお母様方も同じ感じのようで、一日中引きこもっているのは1歳以下のお子さんだけじゃないと難しいのではないだろうか。
私はそこでどうせ公園に行くなら、他の人も誘ってみるかーと思わないタイプである。
でもやたら人を誘って、お出かけするのが好きなタイプもいる。
これはもうさかのぼれば中学生くらいからどちらのタイプかはだいたい分かれるのではないだろうか。
トイレに友達と行きたがる子。
日曜日にやたら遊びたがる子。
よそのクラスにも顔が広くて、イベントをよく企画する子。
飲み会が毎週のように入っている子。
こういう友達はだいたい可愛くて、明るくて、恋に悩み、少女漫画の主人公のようであった。
私はまったく逆なのに、なぜかこういう友達が多かった。
ママにも積極的外交を進める方がいて、私にも同じ外交を求めるのだがいかんせん私は消極的根暗外交なのに外面だけは良いのでうっかり誘いを断れず、あとで疲労してしまったりする。
長女が幼稚園に入園して一か月。
もうすぐクラスのランチ会なるものがある。
気が進まない気持ち半分、どんなお母様方たちがいるのか見てみたい気持ち半分、私の心は揺れる日々である。
いろいろあった2014年上半期
継続は力なりという言葉は私の辞書にはない。
三日坊主との言葉通り、正月に作ったブログをすっかり忘れて気が付けば風薫る新緑の5月。良い季節です。
指折り数えて待っていた幼稚園に長女は無事入園し、ほふく前進で徘徊する次女とお留守番の日々である。
長女もどこかへ所属し、毎日予定ができて、3歳児なりの社会参加をしているのだなと思うと感慨深い。
無所属なのは私と次女0歳だけ。次女も3年後は社会参加が待っている。
正月からの上半期、さまざまなことがあった。
まず長女の川崎病発症である。
原因不明の高熱が続き、インフルでもなく溶連菌でもなく、熱さましを飲んでも抗生剤を使っても下がらない状況は3日続いた。
川崎病かも、、?と3日目くらいで医者も私も思い始めたが、川崎病の確定診断になる条件にまだすべて当てはまらずなかなか診断がおりなかった。
4日目に目の充血、4日続く高熱、いちご舌、おなかの湿疹、リンパ下を痛がるなどの症状がそろったので、川崎病の診断となり即入院。入院した夕方から治療が始まった。
高熱で具合の悪い長女だったが、知らない病院に連れていかれ採血やら点滴やら痛い思いを散々させられ不機嫌マックスでずっと泣いていた。
完全看護の病院だったので、夜は長女だけ残して帰るのもかわいそうでつらかった。
面会時間は9時までだったが、子供が寝付くまで一緒にいてもいい病院だったので入院中は長女が寝付くまで毎晩添い寝をした。翌朝、起床7時には出勤前の夫が立ち寄り一緒に朝食をとった。その後、次女を一時保育に預けて私が長女の付き添い。
夫が早めに帰宅して次女を迎えに行き、自宅で待機。私は長女を夜寝かしつけて帰宅。といった感じ。
途中で、義母や実母がはるばる手伝いに来てくれて大変助かった。
次女がまだ後追いも人見知りもあまりしない頃だったのも助かった。
10日間の入院を経て、長女は退院。入院中に3歳の誕生日を迎え、看護実習のお姉さんにお祝いをしてもらった。
心配した心臓への後遺症もなく、経過は良好だった。
ただ2か月間はアスピリンの服薬とあまり疲れさせないことという指示。
幼稚園の入園は大丈夫とのこと。
月並みな言葉だが、健康であるというのは本当にありがたいことである。
子供の病気が親にとってこんなにつらいとは思わなかった。
元気に生きていればこその日々であると痛感する。
長女は退院後、病院恐怖症になってしまい通院にも一苦労である。
さいけつしない?ちゅうしゃしない?と先生にいちいち確認をとる。
本当に小さいのによく頑張った。
現在は元気に幼稚園に通園していて穏やかに毎日が過ぎている。
毎日6時間も長女が不在であることに最初は慣れず、落ち着かなかった。
今ではここぞとばかりに、掃除やら買い物やらネットやら好きなことをやらせてもらっている。
次女はまだまだ手がかからない。
1人でよく遊び、笑っている。