子供の寝顔で反省会

日記帳です

いろいろあった2014年上半期

継続は力なりという言葉は私の辞書にはない。

三日坊主との言葉通り、正月に作ったブログをすっかり忘れて気が付けば風薫る新緑の5月。良い季節です。

 

指折り数えて待っていた幼稚園に長女は無事入園し、ほふく前進で徘徊する次女とお留守番の日々である。

長女もどこかへ所属し、毎日予定ができて、3歳児なりの社会参加をしているのだなと思うと感慨深い。

無所属なのは私と次女0歳だけ。次女も3年後は社会参加が待っている。

 

正月からの上半期、さまざまなことがあった。

 

まず長女の川崎病発症である。

原因不明の高熱が続き、インフルでもなく溶連菌でもなく、熱さましを飲んでも抗生剤を使っても下がらない状況は3日続いた。

川崎病かも、、?と3日目くらいで医者も私も思い始めたが、川崎病の確定診断になる条件にまだすべて当てはまらずなかなか診断がおりなかった。

 

4日目に目の充血、4日続く高熱、いちご舌、おなかの湿疹、リンパ下を痛がるなどの症状がそろったので、川崎病の診断となり即入院。入院した夕方から治療が始まった。

高熱で具合の悪い長女だったが、知らない病院に連れていかれ採血やら点滴やら痛い思いを散々させられ不機嫌マックスでずっと泣いていた。

完全看護の病院だったので、夜は長女だけ残して帰るのもかわいそうでつらかった。

面会時間は9時までだったが、子供が寝付くまで一緒にいてもいい病院だったので入院中は長女が寝付くまで毎晩添い寝をした。翌朝、起床7時には出勤前の夫が立ち寄り一緒に朝食をとった。その後、次女を一時保育に預けて私が長女の付き添い。

夫が早めに帰宅して次女を迎えに行き、自宅で待機。私は長女を夜寝かしつけて帰宅。といった感じ。

途中で、義母や実母がはるばる手伝いに来てくれて大変助かった。

次女がまだ後追いも人見知りもあまりしない頃だったのも助かった。

 

10日間の入院を経て、長女は退院。入院中に3歳の誕生日を迎え、看護実習のお姉さんにお祝いをしてもらった。

心配した心臓への後遺症もなく、経過は良好だった。

ただ2か月間はアスピリンの服薬とあまり疲れさせないことという指示。

幼稚園の入園は大丈夫とのこと。

 

月並みな言葉だが、健康であるというのは本当にありがたいことである。

子供の病気が親にとってこんなにつらいとは思わなかった。

元気に生きていればこその日々であると痛感する。

 

長女は退院後、病院恐怖症になってしまい通院にも一苦労である。

さいけつしない?ちゅうしゃしない?と先生にいちいち確認をとる。

本当に小さいのによく頑張った。

 

現在は元気に幼稚園に通園していて穏やかに毎日が過ぎている。

毎日6時間も長女が不在であることに最初は慣れず、落ち着かなかった。

今ではここぞとばかりに、掃除やら買い物やらネットやら好きなことをやらせてもらっている。

次女はまだまだ手がかからない。

1人でよく遊び、笑っている。