子供の寝顔で反省会

日記帳です

川崎病のこと②

幸い、冠動脈瘤などの症状は現れず、2回目のグロブリン投与で再燃は抑えられた。

本当にほっとした。

 

3週間の入院生活は年末年始を挟んでしまい、クリスマスもお正月も特に何もしないで終わってしまった。

頭を悩ませたのが、長女が冬休みのため預け先をどうするかについてである。

幼稚園の預かり保育や、民間の一時保育を利用していたが、年末年始はどこもお休みである。加えて、夫はカレンダー通りに休む業種でないため、大変であった。

地方にいる両親、妹、夫の母など総動員で来てもらった。とてもありがたかった。

おかげで長女も寂しい思いばかりにさせないで済んだと思う。

 

夜は完全看護のため、寝かしつけたら自転車で20分ほど飛ばして帰宅する。12月の夜の寒空の中、自転車は本当に寒かった。でも仕方ない。病院の駐車場は有料で高かった。無料になるのは入院1日目だけ。都心だから仕方ないのか。義母は私が21時過ぎに自転車に乗ることを大変心配し、タクシー代をたくさん下さった。寒かったのは大変だったが、車より自転車のほうが身軽で好きな私は、安全運転を心がけて自転車で通いとおした。

 

次女は、歩くのが遅く入院した時はまだ歩けなかった(1歳5か月)。

私も大変心配したが、主治医は個人差だから大丈夫と言っていた。

そうしたら、入院中によちよちと歩けるようになった。子供のためのプレイルームや、病室のなかを点滴が取れてからは興味津々で歩き、看護師さんに褒められて嬉しそうにしていた。随分と歩くのが遅かったせいか、歩くようになってからは全く転ばず、転んでもしっかり手がついていた。あんなにハイハイばかりしていたから、腕の力はついたのかもしれない。

 

様々な出来事があった入院生活だったが、特に現在は後遺症もなく元気に過ごしている次女である。

子供が元気な事、それ以上の喜びはないと身をもって知ることができた。

しかし、姉妹で同じ病気になるとは親としては驚きであったが、入院中の主治医やかかりつけの医師によるとたまにある話だそう。

遺伝子的な性質なのだろうか。。不思議は尽きない。